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struoの成り立ち 

STRUOは、簡単にあえて乱暴に言えば、


「かたちの思索家」
「デザイナー兼革職人」
「特注モビリティの計画・設計屋」



の融合だと言えます。
これは職歴も踏まえた経歴のキャッチフレーズみたいなものです。
歴史のないブランドを一から育てるために、
自分が今何を考えながらモノを生み出そうとしているのかということが、
最も大事な要素だと考えて、
紹介することにしました。

始めに、
「かたちの思索家」
なstruoをのぞいてみます


struoのものづくりは、
物事すべてを「かたち」として
認識することから始まっています
それは現在に至るまで思考の下地になっています。
思索の過程はすべて独自のもので、
恣意的なものであることは否めません。


よく「かたち」とは何のことですか?と聞かれますが、
「かたち」とは広い意味での概念のことだといえます。
具体的な対象物を指すこともあれば、
物事の仕組みや、
人の情動のような無形のものを指すこともあります。

有形物も無形物も、
人の認識の上で存在が成り立つので、
一度脳の中に取り込まれなければ、
形としては認識されません。
よって、研究対象は、
「脳の中のかたち」と呼んでも構いませんが、
略して「かたち」と呼ぶことにしました。

有形無形問わず、
物事を深く理解しようとするときに、
一体それはどういうことなのか、
または、どのようにできているのか
ということを突き詰めていくと、
脳の中では、曖昧で複雑な情報を
「形」として認識しようとしているといえます。

物事を深く理解するというだけでは、
ただの勉強になってしまうのですが、
理解する過程の中から
何を頼りに、どう理解したかということを
観察することによって、
「限りなく汎用性のある言葉」を摘出し、
その言葉を使って、
別の新たな情報を生み出すための
材料にすることが出来ます。


そうした材料が増えていくと、
新たな情報を生み出すための材料が
たくさん並べられている状態が生まれます。
ある分野で摘出した記号を
全く別の分野での情報の構築に
役立てるということが可能になります。


研究の目的はあくまでも
「自由な創造者」になるためでした。
本来この「かたちの研究」を遂行するためには、
広範囲な学術領域や
専門的な職種をくまなく渡り歩き、
専門家並みの知識と経験を得て、
情報を束ねることが理想ですが、
一人の人間ができることは、
時間に限りがあるので、
取捨選択を迫られます。

僕が本当に望んだことは、
たとえどんな道を歩くことになったとしても
自身の創造的な生き方に貢献する
方位磁石のような道具を作ることでした。


なぜ、そこまで思いつめたのか
今は思い出せませんが、
表現を志すために
「いろんなものを見ろ」
「いろんな経験をしろ」
と漠然といわれるのに、
それらを関係付けるための哲学がないことが
一番問題なのだと感じていたからでしょう。

僕は今でもはっきりと確信しています。
適切な情報の加工法と貯蔵法の構築を志すことなく、
感性を磨くために様々な経験をすることは
無駄に終わっても不思議がないのだと。

この「かたちの研究」とは、
情報を丁寧に解体することを可能にし、
容易に再構築するためのつなぎを無尽蔵にもち、
自在に新たな情報を生み出す力を得るためのものと言えるかもしれません。


それが完成すれば、
「分け隔てなく理解できる」
「アイデアが生まれないことがない」
「異なるものの関係性を見つけ出すことが楽々できる」
「ある分野で革新的なものづくりをするために、全く異なる分野から、
アイデアやエッセンスを引っ張ってきて結び付けることができる」
という状態になれるのではないかという
期待があったのでした。
そこに問題を放り込めば、
何でも解決できる思想体系のことを
コスモロジーと言うそうです。


「かたち」に関連するであろう文献や、
映像、音楽、建築、
商業的な空間、物事の仕組みや歴史、
物理化学の法則性や原理、
生物の生態や人体の仕組み
などに触れても、
言葉の羅列の影(=形)や背後しか見ない。
そのものを情報として受けて、
脳の中の形がどのように変化していくかしかみない
という奇妙な時間を過ごし続けました。

目に映るそのままの情報として
受け取っていいものがなかったわけですから、
当然頭は混乱します。
それもそのはずで、
今までは分けて考えて当然だった事象を、
すべて「かたち」という同一断面上に並べるための
独自の方法論を探し出そうとしていたわけですから。
当然、客観的な証拠と説明を必要とするのです。
 
考えようとしていることはわかるが論理の道筋が見つからない。
この試みは意味があるのか?
本当に何かを探り当てられる保証など
微塵もないじゃないかと不安を募らせる日々。


難しい文字の羅列や事柄が言いたいことは
簡単に言えばどういうことなのか?
ということ、
さらにその背後には何の
問題について語られているのか?
ということ、
また、別の分野に置き換えると、
どういう言葉で語られているかなど
が端的に知りたいだけでした。


作り手や情報発信者の
「かたち」に対する問題意識が強い情報ほど、
格好のテキストになってくれる。
逆に「かたち」を伝えようとしていない情報に関しては、
単に知識をひけらかすものであったり、
他人にとっては全く無意味な情報であることが
感じられ、そういったものは、
収集する対象からは除外しました。


最終的には、かたちに関連する文献や事柄というよりは、
何もかもが「かたち」の文献や事柄なのだと思うようになりました。


自分は一体何の問題に悩んできたのか。
時間軸に沿って
その軌跡を追ったとき、
浮かびあがってきたもの。
それは大局的に、
「記憶」、「構造」、「類似性」、「適正規模」、「言葉」という
「かたち」を生成する
5つの位相でした。
これがさらに各々分岐していくことになると考えたのです。

つまり僕が形だと思っていた事象は、
すべてこれらの問題に帰属していく。
「かたち」を知りたければ、
これらのキーワードを一つ一つ丁寧に検証しなければならない。
あらゆる分野で別々の言葉で語られてきた
「かたち」を統合させるのだ。
そうすれば、独自の哲学にたどり着けるのではないかという
確信が芽生えました。


人間は「理想的なかたちとは何か」を探している生き物です。
完璧な解が見つからないので、
一時的にでもその回答を実行し、共有し、
検証を繰り返し行っています。

これが無意識の相から順に行われ続けたことが、
まだ見たことも聞いたこともない位相を
自らに提示できたのではないかとも思っています。

赤ん坊が言葉という位相の存在自体を嗅ぎ取るように、
そこに行けば愛しい母親とのコミュニケーションが可能になるのだ
ということを無意識に察知するように。

人間の成長過程や、身体の成り立ち、
あらゆる仕組みや事柄、現象、
言語の生成過程や、
芸術における創造の過程
組織や人間関係の成り立ちなど
をたどってみても、
人間の脳の中で「形」として認識される以上、
このサイクルを通過しているはずなのです。

異分野で全く異なる表現で扱われてていたはずの言葉に
直感的に関係性が見出せる人はいるでしょう。
自分の言葉で言えば、
それはかたちを見ているのだということになります。





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category: struoの成り立ち

Posted on 2010/09/20 Mon. 22:02  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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